フィレンツェ弁前回のコラムの続きともいえる、まさに地方文化の雄・方言。どの国でも方言はあるけれど、イタリアは標準語がない国といっても過言ではない。 首都がローマだからローマ?という訳でもなく、だいたい皆が口をそろえて言うのは、 “TVのニュースキャスターが標準語”。 実はここフィレツェは標準のイタリア語を話す、とも言われているが、それは歴史的背景が大きい。 フィレンツェが都市として発達し始めた12世紀頃は教会や公の場で使用されるラテン語と、 実際に庶民が使う話言葉=Volgareが存在していたが、 その後、フィレンツェはイタリア語の父であるダンテ、詩人・ペトラルカ、 Volgareの価値を高めたボッカチオ(彼の最高傑作・デカメロンは、実際に今でも読めるくらい完成度が高い)など文化史に名高い人物を輩出した。 16世紀末には Accademia della crusca という 言語統一を目指す学会が創設されたものもフィレンツェだし、1 7世紀初頭には初のイタリア語辞書を作った。 そして19世紀最大の文豪マンゾーニが、かの有名な「I permessi sposi=許婚」を書く時に、 正しい“イタリア語”を身につける為にフィレンツェに滞在したのは有名な話だ。 とはいえ、他の方言に比べて標準語に近いといっても、フィレンツェにも立派に方言が存在する。 学校で上級コースまで行ってた時でも、当時彼の家族の話言葉を理解するにはまだまだだった。 (逆に日本語を習っているダンナにしても、うちの家族がしゃべる関西弁は全く分からんらしい) 机上の勉学と生きた言語は違う!とはいえ、私はやっぱり標準的なイタリア語をマスターしたい、 という気持ちがあったし(一応今でも)、うちのダンナはベタベタなフィレンツェ弁ではないので 最初はそうでもなかったが、最近私もやばい。 兆候はすでに1年過ぎたあたり、当時同じクラスだったフランス人のおじいちゃんに、 “キミはずっとフィレンツェで語学を習ったって分かるよ”と言われてから、 去年の通訳の時にも、私がしゃべり始めたとたんに“おい、この通訳フィオレンティーナ入ってるで”と 小声で言われたのをしっかり聞いてしまった。 最初は田舎臭いからイヤ!と思って頑張って標準語を話すよう心掛けてきたが、 3年もどっぷり地元社会に入り込んでしまっては無理。 でも最近は、関西弁をしゃべる外国人を微笑ましく感じるように、私が話すのを聞いて “すっかりフィオレンティーナやね”と満足気に(なんせフィレンツェ1番の人々なんで)言われると、 私もやっと仲間入りできたみたいで嬉しい。今は積極的に土地感のある言い回しを覚えたいくらいだ。 そんな私に慣れたダンナでさえ、舌を巻くのがユリカちゃん。 彼女のスゴイところは、8年前にジャンニと付き合いだしてから、 彼と彼の家族の会話からイタリア語を学び、スイスからイタリアへ来てからも全く学校に行かなかった。 よって赤ちゃんが自然に言葉を覚えるように、彼女のしゃべりは超・純粋フィオレンティーナ。 これはマジですごい。同じく3年フィレンツェにいるススムもかなりキテる。 彼は日本語でしゃべってる時はクミコって言うのに、イタリア語の時はしっかりクミホ。 3年というのはちょうどそういう事が起こリ出す時期なんかな? (そうなりたくない人は2年くらいで引越しときましょう) フィオレンティーナの特徴に話を少し戻す。イタリアではよくある地方ごとの罵り合いの中で、 フィレンツェがいつも馬鹿にされる点が“ホハホーラ”。 代表的な特徴の1つが、カ行の発音がハ行になる事で、コカコーラがこうなってしまう。 でも実際はここまで立派にハホってる例は少なく (私は1回だけレジの兄ちゃんがギャグのように立派にホハホーラと言っているのを聞いて感動した)、 普通は短縮してコカというので、これがコハとなる。いくらハホるといっても、一つめの発音はまとも。 来伊前、私の名前もフミホになるのかと心配だったが、実際はクミホという程度で安心した。 そして実はカ行だけでなく、トがホに変わる事も後で気がついた。 こっちの規則動詞の過去分詞は全て末尾が~トになるのだが、それがホ!になる。 他にもまだあるかも?と目下観察中。勉強はもうゴメンだけど、こういう事を発見するのは結構楽しい。 他、文法的には正しくないのだが、フィレンツェではそれがまかり通ってる事がある。 文法用語で言う、非人称の表現(動詞の使い方)を、主語が“私達”の時に使う。 これは最初、私を大いに混乱させた。ダンナに“Si va?”と非人称の表現で言われた時、 “誰が?”と聞き返したのをよく覚えている。 本来は“Andiamo(行こうか、英語で言うLet's go)”であるべきなのに。 よって Ci vediamo(また会おうね)という表現も、何故か Ci si vede と余計ややこしいくなるが、 これがいたって普通。また、3人称複数の動詞変化もおかしい。 直説法であるべきところ接続法の活用で言う。これもダンナが“(loro) vengano(彼らは来る)”と言った時、 当時接続法を習っていた私は、今なんで接続法使ったん?と聞いたら、 “いや、間違った、vengono,vengono”と修正していたが、 これも彼だけでなくフィレンツェの人はみんなそう。あと間違っているという訳でもないけど、 普通の過去形に、遠過去を使うのも特徴的(南部もそうらしいが)。 学校で遠過去は史実を語る時やかなり昔の事(小さい頃の話やおじいちゃんの事)に使うと習ったが、 ひどい時はついさっきの事でも遠過去だったりする。 とは言っても、北部ではもう使用されてないという接続法もキチンと使われているし、 他地方と比べると比較的文法に忠実だと思う。 細かいところになると、更にいろいろある。andare(行く)、fare(する)の1人称単数の活用が それぞれvado→vo、faccio→fo になるし、普通 piacere(好き)を使う時に garbare、 prendere(取る)の代わりに pigliare がよく使われる。 また、特にお年寄りは女性の名前の前に女性定冠詞の la をつける。 この la というのがいろんな所によくでてきて、今だ研究途中なのだが、 Com'e`(どう)、Dov'e`(どこ)、Chi e`(誰)という疑問詞+英語でいうbe動詞3人称単数の活用の前に、 この la が付き、Come l'e`、Dove l'e`、Chi l'e` になる。 あと、何か思い出せない時にあれ、とかそれとか言うのに、coso(名詞の場合)、 cosare(動詞の場合)を使う。 言いたい事が分かり合ってる人の同士の会話が全部これだったりする時もあって、 第3者は何に言ってるかよく分からん時があるが、自分で使い出すと便利でもある。 今思いつくのはこれくらいだが、絶対まだまだある。 では、他の地方はどういう言われ方をしているかと言うと・・・ (TVの芸人やうちのダンナがやる物まねと、私の知り合いのしゃべり方を聞いての事なので、 学術的根拠はありません)ローマの人“(話す前に)アオ~”、ミラノの人“ウェッ(話の頭、後などに)”、 トリノの人“~ネ(話の後)”、などの感嘆詞的な特徴もあれば、 エミリア・ロマーニャ州(州都ボローニャ)ではサ行の発音がシャ、シュ、ショになるという全体的傾向もある。 他に、こちらではDavvero?(ホントに?)が北部では Ma va?になるという言い回しの違いもかなりある。 南部は?というとかなりエグくて、まだまだ私には理解不能です・・・。 ここでは“フィレンツェ弁”と書いたが、基本的にはトスカーナでは同じような傾向がある。 それ+細かい所でその土地独特の言い方というのが多くあり、 おばあちゃんの村 Vivo d'Orcia でも立派に Viaiolo(ヴィーボ弁)といのが存在する。 最近は、それを覚えるのが楽しいのだが、こないだバレーの試合中とっさに使ってしまい、 ロレンツォに“何やそれ!”と笑われてしまった。 しかし、言葉というのは本当に奥深いもので、頑張って勉強して文法が完璧でもしゃべれない人もいるし、 ユリカちゃんみたいに文法?といいながら立派に(しかもバリバリ方言で)体得している人もいる。 どちらがいいか?というのは個人の考え方次第だが、ある程度滞在するのであれば、 その土地の話し方を覚えると、地元の人の対応が非常に気さくになる事は間違いない。 だって、やっぱりイタリアは地元大好き人間ばっかりだから! そして他の地方に行った時に比べてみると、更に楽しみは広がるはず・・・ (私も研究の為?にも南部に行きたくてたまらない)。 2004.7 |